2009/08/15

アメリカ軍による日本人への残虐行為

アメリカ軍による日本人への残虐行為: "406 :名無しさん@十周年:2009/08/14(金) 16:47:57 ID:xn91doF40


 昭和20年(1945年)4月7日、沖縄への海上特攻に赴いた戦艦大和を
はじめ巡洋艦矢矧(やはぎ)など二隻、駆逐艦三隻が敵(アメリカ)の
空襲を受けて沈没しました。
「現場の海面で浮遊物につかまり漂流中の無抵抗な乗組員に対して、
空母を飛び立ったアメリカ軍戦闘機の群が執拗に来襲しては情け容赦もなく
機関銃を撃ちまくり殺戮した。」(矢矧の原艦長の証言)
「この悲惨な状況をあざ笑うかのように、アメリカ軍機は何時間にもわたって、
無抵抗の漂流者に執拗な機銃掃射を加え続けた。」

(著書「伊藤整一」-大和と運命を共にした第二艦隊司令長官)


410 :名無しさん@十周年:2009/08/14(金) 16:50:10 ID:xn91doF40


資料:E・スレッジ、生物学者 1981年に出版の回想録
太平洋の激戦地ペリリュー島および沖縄で、
日本兵の死体から手を切り取って戦果のトロフィーとする、金歯をあさる、
死体の空いた口を目がけて小便をする、恐れおののく沖縄の老女を撃ち殺し、
「みじめな生活から、解放してやっただけだ」と気にも留めない海兵隊員の様子を目撃した。


413 :名無しさん@十周年:2009/08/14(金) 16:52:19 ID:xn91doF40


資料:ジョセフ・ハリントン著 「ヤンキー・サムライ」より
「ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉の
ジェームズ・ルーズベルトも加わっていたカールソン襲撃隊は、戦死した
日本兵の死体を切り刻み、男根と睾丸とを日本兵の口中に詰め込んだ。
太平洋戦争について熱心な研究者で著書もあり、またテレビの連続番組
のプロデューサーであるシャーマン・グリンバーグが、二十年後にカールソン
隊員の一人にその時の模様を(テレビで)詳細に語らせている。その隊員は
戦友たちのやった蛮行を写真に撮っていた」


416 :名無しさん@十周年:2009/08/14(金) 16:54:38 ID:xn91doF40


サイパン戦で生き残った田中徳祐・元陸軍大尉(独立混成第47旅団)の証言

・「米軍は虐待しません」の呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子全員が素っ裸にされ、
 数台のトラックに積み込まれた。「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。

・次には滑走路に集まった老人と子供の周りにガソリンがまかれ、火が付けられた。たちまち
 阿鼻叫喚の巷と化した滑走路。我慢ならず我が兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に
 蛮行を続ける。

・火から逃れようとする老人や子供を、米軍はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、
 銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れる。2人の米兵は草むらの中で泣いていた赤ん坊を
 見つけると、両足を持って真っ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。「ギャッ!」といふ悲鳴を
 残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う鬼畜の米兵ども。

・こんなに優勢な戦闘状況にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。

・マッピ岬にたどり着いた田中大尉は、岩の間に一本の青竹を渡し、それに串刺しにされた
 婦人を見た。さらに自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が五体をバラバラに切り刻まれて
 倒れているのを眼前に見た。


420 :名無しさん@十周年:2009/08/14(金) 16:57:22 ID:xn91doF40


リンドバーグ著・第二次大戦日記、より
「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な初の大西洋横断飛行の
チャールズ・A・リンドバーグ氏が従軍した時の日記(記録)

1944年6月21日(水)
偵察隊の一人が日本兵'捕虜'に煙草と火を与えた。煙草を吸い始め
た途端に日本兵'捕虜'の頭部に腕が巻きつき喉元が「一方の耳元
から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった

1944年6月26日(月)
ニューギニア戦線で2000人の日本人捕虜を飛行場に連れて行き
機関銃を乱射して殺害しました。

1944年7月24日(月)
そこには1人の日本軍将校と十人~12人の日本兵の死体が、切り刻ま
れた人体だけが見せるような身の毛もよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま
横たわっていた。頭蓋骨を覆う僅かな肉片だけが残っている。

1944年8月6日(日)
「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の
方に送らねばならなくなった時のことを知っているかね?あるパイロット
など僕にこう言ったものだ・・・。捕虜を機上から山中に突き落とし
ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」

1944年8月30日(水)
タラワ島・・・・「英語を話せる者は尋問のため、連行されあとの連中は
一人も捕虜にせず虐殺した」という。




第2次大戦中、2万人が死亡したとされる「バターン死の行進」 生き残った元米兵捕虜らを日本招待へ 政府★2
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